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エロゲは酒の如し

エロゲ、美少女ゲー、ノベルゲーの感想書きます

水仙花 感想・考察


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あらすじ

 

主人公、光一。財閥、大柳一族の青年当主である彼は、全てを手にするが故の空虚で怠惰な毎日を過ごしていた。そんな彼の無色人生は、しかしヒロインとの出会いにより有色に彩られる。始まる、官能の毎日。淫蕩の痴嬢『御門』、隻眼の麗奴『小夜』、百合仲の使用人『裕子』と『佳苗』、両性の秘書『恵美』、そして『ヒロイン』。

昼夜、場所、全てを問わず自由に交わり続ける毎日。願うまま思うまま、肉を心を貪る住人。堕落と背徳にまみれて過ごす日々。けれど、そんな淫蕩を行いながらも、その果てに待つのは『ヒロイン』との『永遠』の『約束』に裏打ちされた『真愛』による『大団円』――…の、はずだったのだが。しかし、渦巻く思いはそんな物語を良しとしなかった。

そして新たに姿を現した物語は…――狂っていた。――とても狂っていた。――どうしようもなく狂っていた。――狂いきっていた。そう、少年少女は立ち上がり、「愛と感動の物語」に反旗を翻したのだ。自らの幸せを得るために。もう二度と、不幸の繰り返される事の無いようにと願って。

 

 

 

感想・考察

 

 まずは各エンディングの個人的な解釈から入ります

 

・トゥルーエンド

 多分このエンドは主人公とヒロインが結ばれるプレイヤーが1番見たかったであろうエンド

なので他のメンバーはシルエットである。(他のキャラクター達は退場させられたと考えられる)

 

 そして途中で出てくる「プレイヤー」はヒロインと結ばれるエンドを見たかったのだろうが彼らの望むエンドはこういうエンドでは無いためではないかと推測。

 

恵美は力になれなかったと言っていた。

恵美はこの水仙花の物語を壊そうとしており、罪深いこともわかってたが光一はヒロインと結ばれることを望んだ。

けどこのタイトル(トゥルーエンド)がついてるってことは正しいことだったのだとも思う。

 

 トゥルーエンドの各ヒロインのお別れのシーンは攻略されなかったヒロイン達の心の内を聞いてるんだろうなと感じた。

 

 

 

 ・プロローグ

これは光一エンドのように思う。

光一はこの水仙花という物語で恵美や佳苗、裕子、御門、小夜、そして衛の思いを胸に秘め次の作品に進むことを決意する。

それが例え汚れきった作品であろうと、プレイヤーからのバッシングを受けようと、別の作品で悲しい思いや辛い思い(ヒロイン死ぬ等)などあるが自分が選び抜いた選択に胸を張って自分の望む綺麗で純白な物語を目指すために、そしてその想いを知った衛はその光一の思う純白な物語で会う日までいつまでも待っている。

が次の作品(水仙花の)に行くためには決意が必要だと自決する。

そしてこの汚れきった世界を戦い抜いて欲しいと。

 

 間違った人達(恐らくどの考え方もある意味間違ってはいないがこの場合は光一視点での考え方など)のどれにも混ざろうとしなかった。

物語と、それら全てを隔てて。

二度と自分たちのような不幸を起こさない世界を作るためにも

立ち上がって欲しいと

光一が求めていたのは「愛と奇跡の物語」だったのではないかと感じた。

 

そして、この「プロローグ」というのは新しいゲームのプロローグでもあるという意味にも取られられると俺は考えた。

 

 

・そして得たもの

恵美エンドだと思う。

このエンドは御門からすれば自分の思い描くエンドではない。
ヒロインでは無い、女性が主人公に告白しくっつこうとしている。
そして新たな道へ進もうとしている。
プレイヤーなどの目など気にすることも無く自分達が惹かれあい正しいと思ったことをする。

御門は恵美を殺すが気にしない2人

何者にも干渉をさせないということなのだろう。


 製作者やプレイヤーの身勝手な思いを押し付けて自分たちを縛り続け物語を無理やり語らせられないよう、自分達の物語を進んでいこうという意思の元行動するということだと思う。

 

しかし、自分たちが紡いできた物語にもがんじがらめにあってしまう。

自分たちが良かれと思って歩んできた物語さえも結局は完璧に理想通りには行かないが逃げはしないと心に決める。

物語だとか虚構だとか言及し出せばきりは無いが、紡いできた物事が現実として、受け入れてきたのならそれが無理やりに強いられたものであったとしても真実を彼方へと置いてきてしまったとしても大切なものは光輝けるはず。

 

 各々の理想の物語の方向性は違えど良き方向へ向かおうとする気持ちは同じで、それにはいいことも悪いこともある。

むしろ悪いことの方が多いだろうし、努力しても理想の物語になるとは限らない。

が、キャラクター(便宜上そう呼ぶ)は周りの目(プレイヤーの)や他のキャラクターの思う理想とは違ってもこう思った道を進んでいくというエンドに思う。

 

 自分の理想に向かってその理想は登場人物、製作者、プレイヤーの数だけあるということだとも思うし、完璧な物語(みなが絶賛する)はほぼ不可能ではあるがそれに向かい行くことが悪いのかということでもあると思う。

 

そして、矛盾でもあるかもしれないが例え望まない物語だったとしてもその物語を望むものがいるのならその物語は終わらない。

続いていく。

誰かにとっての理想は誰かにとっては理想ではなかったりもすることを言ってるようにも思う。

 

その過酷な物語を生き抜くためにはどんなものでも利用して生きていかねばすぐについえてしまう。

(このエンドの最後で恐らく恵美は衛に黒蠅をわたす たぶん秘伝のブツ)

 

 だからどんな方法、汚い手段、ずる賢い手段を使おうともこの世界に生きていこうという物語。

各々ね

そしてまたいつかどこかの作品でヒロインとヒーローとして巡り会えたらというお話。

 

・少女王国の復興

裕子エンドだと思う。

恐らくこれは裕子(書き手)の理想のお話。

多分、何回もお話を書くものの上からリテイクなどをくらい物語を書き直したり、話の整合性などが取れなくなり物語を書き直していたりする。

「不幸を描いたのは他ならぬ、私自身。求められて、望まれて、見返したくて、理由は沢山あるけれど、描いたのは私自身」

とあるが、描きたい話のベースはあったもののこういう理由があったりして結局その方向で書いたのは自分自身で不幸になってしまった。

火をつけたのもわたし

煽ったのも私

そして、生かしたのもまた私

火をつけたのは恐らく炎上てきな?
煽ったのは上の人やプレイヤーを。
死んだはずの(死ぬはず)キャラクターを生かしたのも自分。

 

でも、結局自分の中の幸せな物語の中で自分のお気に入りのキャラクター(便宜上)と幸せに過ごしたいという裕子の理想。

どんな作品であれ作り出した側とすればその生み出した作品は基本愛しているものだと思う。

 

 ただ、その中で動いているキャラクター達、全員が幸せなのかというところがまた難しかったり、書き手自身キャラクター達の思いやプレイヤーの反応などに縛られてはいるのだと思う。

 

 例えその物語がバッシングされてもこれが描きたいというのを書くのがいいのだけれどその物語が正しい、正義とは「万人」からは言えない。

だからこそなのかもしれないがせめて自分の描いた物語やそこに登場させたキャラクター達は愛そうということなのだと思う。

 

 そのためにならどんなことにでも立ち向かうお話に思えた。

 

・エンディング

御門エンドに思う。

過去に囚われ傷つきながらも進まなければホントの幸せにはたどり着かない
泥にまみれながらも、下らない物語であったとしても。

 御門自身、過去のしがらみに囚われそしてその汚れきった物語を恨んでさえいたが、幸せや綺麗な物語を目指す以上は傷つきながらも前に進むしかないのかなぁと。

 

以上が水仙花のエンディングに関しての感想等です。

ここからは感じた事や考察等をざっとかけたらと。

 

水仙花のテーマは

 

キャラクターやプレイヤー、書き手の思う理想の物語

 

なのではと。

まず大前提にはなるのですが、水仙花に限らずHAINゲーに出てくるキャラクターは全て生きている(意思がある)ことであり、HAINゲーに限らずどの作品のキャラクターにも意思があるものとしています。

 

このテーマが中々難しく、キャラクター達は勿論ですが読み手、書き手、作り手(会社や同人サークル)などによって理想の物語が違うということで、どの方面から見ても完璧な物語というものが出来ないというもの。

 

 しかし、作り手や書き手などは勿論つまらないものを作ろうとは思ってはいないだろうし、読み手なんかもつまらないものだと思い買おうとは思わないとも思う。

演じ手(キャラクター達)も良い作品にしようとしているはずなのであるが、皆が同じ思考をしてないから故、完璧な物語がないのだと思う。

 

そして特に水仙花にあたっては、各々のキャラクター達が自分達の理想の物語に向かい進んでいく話でもある。

書き手や作り手、そしてプレイヤー達に対しての反旗でもある。

 

 自分達は書き手や作り手、そしてプレイヤーの思惑通りには行かぬぞと。

自分達には自分達の理想があり、作り手書き手、プレイヤー達のエゴで自分達は動いてなんかいないぞと。

 

しかしながらそういった書き手とか読み手がいなければそれは成立はしない。

なのでそういう自分達の意にそぐわない事もやりながら(この作品では泥にまみれながらなどの表現)自分の理想の物語を築いて行こうというものでもあったように感じます。

 

 というのが感想です。

 

演出等で恐らくこうではないかという考えなども書いていこうと思います。

 

まず、モノクロの場合とカラーの場合がありますが(絵が)これは光一自身の内面に影響されているように思う。

気分が沈んでたりした時はモノクロ、晴れやかな時はカラーだと。(作品内でそのような表現もあったように思います)

 

次にキャラクター達がシルエットで出るところ。

本来はその場面では登場はしないはずの場面であるが、そのキャラクター達が自分の意思で登場した。

 

あと、この館の中庭にある開かずの扉。

この館内(扉の内側)が「エロゲの舞台」であって門の外はプレイヤーというか3次元の世界なのかと思う。

 

細かいところは見落としなどもありそうですが大きく気になったのはここ。

 

 あと、この作品の時系列的に(発売順ではない)不良にハメられて受精する巨乳お母さんのあとのお話で、この水仙花という話はこの巨乳お母さんで色々あって出来た物語。

詳しくは前のブログに書いてあります。

 

一応簡単にですが、巨乳お母さんでヒロインを務めたのがキョウコ、そして主人公のあなた。

最後に出てくる名もない少女

 

このメンバーが水仙花に出てくるわけです。(名前は変わっていますが)

 

キョウコが佳苗、主人公のあなたは最後2人に別れますがそれが衛と光一、そして名もない少女は御門という感じです。

詳しくは巨乳お母さんのブログを見て貰えたらと思います。  

 

そこで全てに恨みをもった御門が復讐や自分の理想の物語を作り上げる意味で水仙花という物語が産み落とされたとおもう。

 

 

と言ったところでしょうか。

ちょこちょこ更新はしていくかと思います